人殺し、それがリチャード三世。
恐ろしい・・・・。主人公リチャード三世は自分が王になるために、つぎつぎと邪魔者を殺し、ついには王座につく。ところが最後には自分も殺される。
とにかく、あらゆる手で人をおとしめ、その命を奪っていく様はまさに最強の悪役。本当に悪いやつです。舞台では、ほとんど彼の一人舞台になり、ハムレットに並ぶ大役なのだそうです。
結局は、王座に誰が座るかという大人のイス取りゲーム。
悪党の魅力
リチャードはセムシでビッコである。もちろん、このように生まれついたことに彼の責任はない。だが、世間はそれを、まるで彼のせいであるかのようにみるし、彼自身後ろめたい思いを抱いたことがあったかもしれない。彼はいわばその誕生の時に不正を加えられた。だから、健康な奴らには許されない不正を犯しても、きっと自分には許されるはずだ。ーー悪党になってやる。それも、悪の限りを尽くして、きっと王冠を手に入れてみせる! シェイクスピアにあっては、悪党たちのスケールもデカイ。しかも魅力的だ。ーーでも、どうして悪はこんなに魅力的なのだろうか? そういえば、大人たちはしばしば、オレも昔はワルだった、と言いたがるーー。「尺には尺を」の中に「美しい音楽は悪を善に変え/善を悪にかりたてる」という台詞がある。前半の「悪を善に変え」はいいとしても、「善を悪にかりたてる」というのはなんだろう? たとえばヒトラーのナチスとワーグナーの音楽の関係のようなことをさしているのだろうか? 美はしばしば私たちをあざむく、と私たちは言う。でもそうではなくて、美そのものが危険なもので、その危うさにこそ魅力がある、としたらどうだろう? 美が私たちをあざむいているのではなく、私たちのほうがそのような危険を愛する、危険でないものに美を見出さない(見出せない)としたら? 悪を善に変え、善を悪にかりたてる美の魔法。ーー両刃の剣、の魅力。
新潮社
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